今年の12月に、市村正親の主演で日生劇場で上演されるミュージカルの名作だ。作者はショラム・アレイヘムと記したが、厳密に言えばこれはミュージカルの元になった小説「牛乳屋テヴィエ」の作者だ。それをジョゼフ・シュタインの脚本、ジェリー・ボックの音楽でミュージカル化された。1964年にブロードウェイで初演され、以降、8年間、3,242回のロングラン公演に及んだ作品だ。日本ではアメリカに遅れること3年、1967年に森繁久彌(1913~2009)の主演で越路吹雪、淀かほる、益田喜頓、浜木綿子などの豪華なメンバーで幕を開けたが、不評に終わった。それが、72年の再演で火が付き、76年から82年まで7年間、毎年各地での上演を重ね、日本列島を『屋根の上』ブームに巻き込んだ。森繁久彌は結果的にこの舞台を86年まで907回演じることになり、84年の公演は帝国劇場での半年に及ぶロングラン公演が完売、というほどの熱狂を起こした。
以後、主役のテヴィエをはじめ全部のキャストが入れ替わり、94年に西田敏行が、2004年からは現在の市村正親がテヴィエを演じている。この作品が初演された昭和42年の日本では、まだ「ユダヤ人の民族差別」を題材にしたミュージカルを受け入れるべき土壌が、観客の中に醸成されてはいなかったことが大きかったのだろう。どんどん地球が狭くなるにつれて、このミュージカルが象徴している「家族愛」の部分も前面に押し出され、もはや古典のミュージカルとして繰り返し上演され、今回で実に28回目の公演となり、上演回数はトータルで1300回を超える。
私が最初にこの舞台を観たのは1978年のことで、40年近く前だ。すでにブームは起きており、その熱狂に巻き込まれた形だったが、森繁だけではなく、初演以来907回までの舞台を共にした賀原夏子や益田喜頓、須賀不二男らの脇役らの助演陣、相手役の女房・ゴールデの淀かほるなど、メンバーも腕利きを揃えた豪華な舞台だった。
以降、この作品を観て来た中で、残念なのは、舞台に生きる登場人物から「匂い」が感じられなくなったことだ。時代の変化の中で、作品を貫く「家父長制度」は、日本では崩壊した。また、「差別」に対する感覚は鋭敏になったものの、多くが「個」の問題であり、民族差別に関する理解は、初演当時とはあまり変わっていない。ここに、『屋根の上のヴァイオリン弾き』が抱えている問題があるのだが、それを責めたところでどうにもなるまい。同様な視点で言えば、この作品よりも数年ずつ早くブロードウェイでの初演、映画化、日本での上演、名作化の歩みをたどって来た『マイ・フェア・レディ』も同じ問題を持っている。これは、単に貧乏で下品な花売り娘のイライザが、言語学者であるヒギンズ教授によって世にも稀なレディに仕立てられる、というだけの話ではない。この二人の間に厳然と存在していたイギリスの身分制度や階級制度による「格差」の問題を抜きには語れない。そこが明確に描かれて初めて、『マイ・フェア・レディ』は成立する。しかし、ここ数回の舞台を観た限り、イギリスの当時の上流階級に属する人物は一人もおらず、物語の前提が崩壊している。
私は、前回の作品を紹介する中で「普遍性」という言葉を使った。移ろう時代の中、変わりゆく人々の感覚の中でも変わらない感情である。しかし、今やその「普遍性」すら揺らぎ始めている時代なのだ、と言えるのかもしれない。しかし、演劇人が、ここで方向を見失ってはいけない。道に迷った時こそ、原点に立ち度戻るべきではなかろうか。