歌舞伎の「怪談」と言えば、まずこの作品の名が挙がるのではないだろうか。江戸時代もそろそろ終わりに差し掛かろうという1825(文政8)年に、鶴屋南北の手によって書かれた歌舞伎だ。多くの人々が知る話の内容は、民谷伊右衛門という悪人が、自分の妻・お岩に顔の変わる薬を飲ませ、その祟りに苦しむ、という辺りだろうが、それ以外には何が描かれていたか、となると「?」という形だ。もっとも、我々の名作に対する知識はそういうもので、海外の名作にしても学校で題名だけは暗記させられた…というものが多い。

 この作品は、元禄時代に起きた「赤穂事件」、いわば『忠臣蔵』に関係のある登場人物が多く、「裏忠臣蔵」とも言うべき世界を持っている。事実、初演の折には二日間に分けて『仮名手本忠臣蔵』と交互に上演したという記録がある。奇抜な趣向で知られた南北らしい作品で、最も有名な作品になった。見せ場はやはり心変わりした伊右衛門に毒を飲まされたお岩が、苦しみながら面相が変ってゆく場面だ。捨てられてる女の哀しみが、やがて恨みに変わり、という心情を丁寧な心理描写で演じて見せるのが通例になっている。

 2015年12月の国立劇場で、松本幸四郎・市川染五郎の親子で『東海道四谷怪談』を通して上演した。あえて暮れの12月に上演したのは、原作が持つ『仮名手本忠臣蔵』との関係を意識してのことで、この発想は面白かった。歌舞伎が本来持っている柔軟性はこういうところにもあるのだ。

 この芝居を上演する折には、主な役者が四谷の『於岩稲荷』を詣でるという習慣が今も歌舞伎にはある。これをしておかないと、舞台中に何かの事故が起きたり、トラブルが発生する、という。また、幕内の人々は、決して呼び捨てにはせずに、「お岩さん」とか「四谷様」という呼び方をする。これは、歌舞伎の世界では他に例がないことだろう。人間が火星への移住を考える時代に、と言われそうだが、「地鎮祭」と同じ感覚で、これを一笑に付すことはできないし、その理由もない。

 この芝居は、他の長編のように、有名な場面だけを上演する、というケースはない。例えば、先ほどから例に出している「お岩の髪梳き」だけを上演しても、何のことだかわからないのと、その場面に出て来る人物がどういう人なのかがわからないからだ。上演の場合は、完全版ではないにせよ「通し上演」に近い形式になる。鶴屋南北の作品は、他の作者の物に比べてその割合が高い。

 この芝居で南北が描いたのは、社会の底辺で喘ぎながら、何とかして自分がのし上がるチャンスをつかもうとする逞しい人々の生き方だ。成功を手に入れるためであれば「首が飛んでも動いて見せるわ」とうそぶく伊右衛門や、他の登場人物たちも同様だ。南北は、時代に虐げられて来た庶民のしたたかさ、それに加えて、世の中で一番怖いのは幽霊でも祟りでもなく、それを造り出す「人間」」なのだ、ということが描きたかったのだろう。それが成功し、芝居の中の人物の息遣いが感じられるほどに巧みに創られたからこそ、今も人気演目として上演や研究が続いている。

 ただ、一方ではこの芝居のように庶民の生活を描いた「世話物」と呼ばれるものの上演が難しくなってきているのも事実だ。このジャンルで最も大事な「生活の匂い」が希薄になり、観客もそれを理解できない時代になっている。そこにどう活路を見出すか、これからの歌舞伎の課題の一つでもある。