「赤城の山も今夜を限り、縄張りを捨てくにを捨て、可愛い子分のてめぇたちとも、別れ別れになる門出だ」の名台詞で知られる『国定忠治』。「男が泣く芝居」と言われた新国劇を島田正吾と共に長らく二枚看板で背負った辰巳柳太郎(1905~1989)の一代の当たり役である。「国定忠治」は実在の人物で、芝居の通り、赤城山の近くの国定村に生まれ、江戸時代後期に実在した博徒だ。天保の飢饉で農民を救済するのに一役買った侠客として有名になり、講談・浪曲・映画などでヒーローになった。いわゆる「義賊」とされ、庶民に人気があった点で言えば「ねずみ小僧」や「清水次郎長」などと同じである。
舞台では、『月形半平太』や『はやぶさ大名』など、大衆的な作品を多く遺した行友李風(ゆきとも・りふう1877~1959)が劇化したものが最も有名だろう。新国劇は昭和59(1984)年に解散したが、その直前まで演じられていた。作者が亡くなってもなお、人気演目としての地位を保っており、いろいろな俳優が演じている。中でも、辰巳の弟子で、新国劇の衣鉢を継いで劇団「若獅子」を率いている笠原章が現在も大切に演じている。
昨今のカラオケがどんな流行り方をしているのかは知らないが、それこそ「昭和時代」の中頃辺りまでは、飲み会の席で酔うと芝居の一節を物まねまじりで唸って見せる人がまだいたものだ。そのための名セリフ集が販売されていたほどだから、そうした行為が廃れつつあったとはいえ、庶民の一般教養の中にはまだ残っていたのだろう。そうした場面で、歌舞伎以外の分野の芝居で男性に断トツの人気を誇ったのが、この『国定忠治』の「赤城山の場」だ。大体、こういう類のものは、気持ちがよいのはやっている本人だけの場合がほとんどで、後の人はただひたすら終わるのを待っている、という点ではカラオケと余り差がない、と言ったら叱られるだろうか。最近はそんな真似をする人は見なくなった。仮にやったところで、回りの人がいわゆる「ドン引き」をするだけのことだ。そう思うと、耳を覆うばかりの割れ鐘のような大音声や、調子っぱずれの声色が懐かしく思えるのから、人間は天邪鬼なものだ。
全うな庶民は、アウトローであるヒーローに憧れを抱きはするものの、自分がなろうとは思わない。ヒーローにはそれなりの辛さがあることを知っているからだ。これは国定忠治に限ったことではなく、私も子供の頃、いくら強くとも地球には3分しかいられない『ウルトラマン』の悲哀を感じた。この冒頭に挙げた「縄張りを捨て、くにを捨て」、という台詞の重みは、不安定な現代だからこそリアリズムを伴って聞こえるかもしれない。「住所不定」の上に「戸籍」もない。当時で言えば「人別帳」から外された制外者でいることに耐えられなくては、こうしたヒーローにはなれなかったのだ。「義賊」とは言え、良いことばかりをしているわけではない。売られた喧嘩は買わねばならず、無法な人殺しも行わねば、彼らの渡世を生きることはできない。理由が何であれ、貧しくとも普通の生活を捨てたものの哀しみが、忠治の生き方には垣間見えるような気がしてならない。
どこでどうなったのか、「ヤクザ」も「暴力団」も一緒に考えられるようになった。江戸以前からの「ヤクザ」は、博打を主な生業とする「博徒系」と、お祭りなどの縁日の「テキ屋」を仕切る「テキ屋系」にはっきりと分かれていたものだ。それを容認せよ、と言うつもりはない。しかし、いろいろな分野での報道のあり方が明らかに偏向してしまうと、昔の侠客の義侠心も仇になるというものだ。