安永2(1773)年に大坂の人形浄瑠璃で初演され、歌舞伎に移した作品。後妻に入った家で後継ぎを巡る争いが起きており、義理の仲ではあるが息子の俊徳丸を助けるために、偽りの不義の恋を仕掛け、顔の様相が変わる毒酒を呑ませた玉手御前。実家へ帰った玉手は、真実の狙いを隠し、俊徳丸への恋心を得々と述べる。人の道にも女の道にもはずれたと、今は小さな庵室にいる父の合邦は怒り狂い、思わず玉手を刺す。苦しい息の中、玉手が語った真実とは…。
昭和の後半、六世中村歌右衛門、七世尾上梅幸が健在であった頃は、二人の女形が得意にしていた役であり、競うようにして演じていた時期があった。一幕の中心を女形が担う数少ない演目でもあり、見せ場も多いが、義太夫狂言であり、複雑な女性の心理を演じる点でも難しい役である。最近は、女形の払底でこの演目を観る機会も少なくなってしまった。
現在上演されるのは、先に述べた事件が起きる「合邦庵室(がっぽうあんじつ)の場」だけだが、本来は「上中下」の三段に別れているもので、謡曲の『弱法師』(よろぼし)、さらに源流をたどれば説教節の『しんとく丸』という先行芸能がある。説教節の『しんとく丸』は、継母の呪いで病にさせられた若者の絶望と救済がテーマになっており、その裏には観音信仰が一本の筋となって通っている。この劇的な構造を利用して、寺山修司は『身毒丸』を描き、白石加代子・藤原竜也のコンビで現代にこの伝説を蘇らせた。
歌舞伎で演じる場合には、玉手御前はあくまでも家の危機を救い、俊徳丸の命を助けるために「偽りの恋」を仕掛けたのか、「真底惚れていたのか」という演じ方の心理、いわゆる「肚」が問題にされる。私が観た限りでは、歌右衛門は「本当に惚れている」、梅幸は「俊徳丸の命を救うために惚れている」ように感じた。玉手御前は、自らが仕掛けた毒酒による病を治す特効薬を自らの身体に持っており、それは、「寅の年、寅の月、寅の日」に生まれた女性の肝の生き血だった。現代の感覚では非常にグロテスクとも取れるが、歌舞伎にはよくある話で、こうしたことも、中世の芸能が持っていた性質をそのまま呑み込んできた「歌舞伎」の特質の一つだろう。
手元の観劇記録を見ると、歌右衛門の玉手御前を6回、梅幸のものを4回観ている。今は、なかなか上演しにくい状況で、この幕の主役である玉手御前の他に、父親の頑固一徹な老人である合邦道心、恋の対象となる俊徳丸と許嫁の浅香姫、と各年代の役者が揃わなくてはならない。2007年に国立劇場で坂田藤十郎が上演して以降、2010年5月、大阪・松竹座での上演から玉手御前を尾上菊之助が演じるようになり。同年12月に東京の日生劇場、2015年5月に歌舞伎座で演じている。他の時代物の演目に比べて、よく知られた芝居でありながら上演回数が少ないのは、女形にとって難しいだけではなく、脇も揃っていないと濃密な感情のやり取りが浮かび上がって来ないからだ。幸い、このまま菊之助が持ち役にしてくれれば、祖父の当たり役が孫の世代でまた新たな息吹を吹き込むチャンスができた、と考えることができる。
古典芸能は「継承」によってその命脈を保つが、「受け取る」次の世代がいない場合が最も危険だ。受け取ってしまえば、そこに新たな解釈を加えることは可能であり、伝統を継承するためには、時に「破壊」する部分も必要になるのだろう。