「ゴシック・ホラー」と呼ばれる文学などの体系があり、好む読者も多い。神秘的・幻想的な題材を含む小説が1700年代後半からイギリスで流行し、「ゴシック小説」として広がりを見せ、その一部の恐怖・怪談小説などが「ゴシック・ホラー」として広がったものだ、と考えるのが一般的だろう。今、ホラー小説と呼ばれている作品群の源流である。
先駆けとなったのは1764年に発表されたウォルポールの『オトラント城奇譚』で、その流れを汲んでいるスーザン・ヒルが1987年に発表した小説『ウーマン・イン・ブラック』が劇化され、同年にイギリスで初演された。日本では1992年に渋谷のパルコ劇場で上演されて以来、顔ぶれを変えながら繰り返し上演されている。
小さな劇場に現われた中年の弁護士・キップスと若い俳優。キップスには若い頃に体験した、人には言えないほどの恐怖を人に語ることで呪縛から逃れようと俳優を雇い、劇場で長い告白を始める。若き日のキップスを俳優が演じて見せる、という状況で。若きキップスは、北イングランドの孤島で亡くなった女性の遺産整理に赴いた。その島は、潮が引いた時にしか陸への道がなくなる。誰もいない館で遺品を整理し始めたキップスの前に、黒い服の女性が現われる…。この作品は、数年前にも映画化され、そちらをご覧になった方も多いかもしれない。
舞台では、多くの登場人物をすべて二人の男性俳優が演じ分ける。初演は斎藤晴彦・萩原流行の二人で、好評を受けて翌93年に再演となった。もう二人ともこの世にいないのはいかにも寂しい話だ。その後も、斎藤晴彦・西島秀俊のコンビを経て斎藤晴彦・上川隆也のコンビとなり、斎藤が亡くなってキャストを一新、岡田将生と勝村政信のコンビでの上演が2015年に行われた。
通常、ミステリーや推理の要素を含む芝居は結末が分かってしまえばそう何度も観ようとは思わないものかもしれない。しかし、この作品は構成の良さに加えて優れた幕切れで、何度観ても面白く、実際に恐怖を感じた。劇場で怪談に類する芝居を観て、「恐怖」や「戦慄」などの感情を抱くことは、現代の観劇シーンではほとんどない。それだけ、作品と俳優が優れている、ということだ。今までに観た組み合わせの中では、斎藤晴彦・上川隆也のコンビが醸し出す味わいが最も良かったように思う。演じている回数が一番多いコンビであり、力んだ芝居もなく、淡々と芝居を進めているように見え、その中で観客が予想もできない事態が起きるからこその恐怖だろう。
この芝居が優れているのは、あらかじめ凡その内容はわかっていても、芝居が進むにつれて徐々に物語の持つ怖さが身体に入り込んで来ることだ。夏の盛りの劇場で、空調の設定は変わっていないはずだが、幕が開いた頃には適温と感じた空気が、幕切れにはいささかの冷気さえ帯びているような感覚を味わわせるとでも言おうか。実際に、一度だけその体験をしたことがある。論理的には、適温と感じた室内で動かずに座ったままで芝居を観ていれば時間の経過に連れて体感温度が低く感じられるのだ、ということだが、それを言ってはおしまいだ。
しっかりと練り上げられた脚本を、演出家の意図を理解し体現できる俳優が二人いれば、優れた演劇作品になるという手本のような芝居だ。そろそろ上演の機会はないものだろうか。