竹田出雲、三好松洛、並木千柳のトリオが産んだ歌舞伎の「三大名作」の一つ、『義経千本櫻』。そもそもを言えば、「源義経」は中世の「悲運のヒーロー」であり、「判官贔屓」(ほうがんびいき)という日本人特有の感情を端的に現わす基になった人物とも言える。歌舞伎のみならず、多くの芸能においても義経はヒーローであり、それゆえに「実は死なずにモンゴルへ渡りジンギスカンになった」という破天荒な説まで登場する。それは、言い換えれば日本人の「義経愛」の変形の一つ、とみることができる。
さて、その名を冠した『義経千本櫻』だが、同じ作者たちによる『菅原伝授手習鑑』のように、タイトルロールを飾っていながらも、芝居の中ではさほど重要な役割を果たしているわけではない。全編を通してみても、ちょこちょこと顔を出すだけで、物語を貫いているのは平家の没落であり、滅亡へ至る道筋なのだ。今もよく上演される『大物浦』(だいもつのうら)の主人公は、『平家物語』で「見るべきほどのものは見つ」との言葉を遺し、海中に消えた中納言平知盛(ちゅうなごんたいらのとももり)だ。奈良の吉野の奥深い山里で平維盛(たいらのこれもり)を匿っていた「いがみの権太」は、その使命を果たすために、自らだけではなく、女房子供までを犠牲にする。舞踊で人気の『吉野山』は、義経の愛妾・静御前と忠臣・佐藤忠信の物語であり、宙乗りで人気の『四の切』(しのきり)も、佐藤忠信が主人公だ。
こうして、頻繁に上演される場面を挙げても、「義経」の影は色濃くない。なぜなのだろうか。私流の勝手な解釈をすれば、『義経千本櫻』は悲劇のヒーロー・源義経への鎮魂劇で、戦術の天才であったとも言われる義経が滅ぼした平家の最期の姿を丹念に描写することで、「あなたはこんなに凄い戦をした大将なのです。ですから、怨霊とならずに安らかにお休みください」と慰撫しているように見える。
『菅原伝授手習鑑』では、滅多に上演されることのない「天拝山」(てんぱいさん)の場面で、菅原道真は「鬼神」と化す。しかし、『義経千本櫻』の中には、そうした場面はない。その代わりに、義経の功績を再現することで、義経の魂を鎮めようとする「鎮魂」の意図が感じられる。『忠臣蔵』では主君の仇を家来が討つことでの鎮魂、『菅原』は、主人公の悲劇的な生涯をトレースし、多くの観客に道真の悲劇を知らせることによる鎮魂、そして『千本櫻』は、義経の偉大な功績を相手が滅びる様子を描くことでの鎮魂、と考えれば、三本連続のヒットを放った作者のトリオは、実に見事な手法で三人の悲劇のヒーローを鎮魂劇として書き分けた、と言えるのではなかろうか。それが、私の『義経千本櫻』観だ。
「真面目な」歌舞伎の観方からすれば、この考えは「邪道」と言われるかもしれない。しかし、目の前で役者が演じている物語の背景に横たわっている「精神」をどう汲み取るかは、演劇のジャンルに関わらず重要なことではないか、とも思う。その伝で観て行くと、新しい姿が見えて来る。こういう発見もまた、観劇の楽しみの一つではないだろうか。一本の芝居をどの角度から眺めるかにより、見える光景が変わる。ここに、歌舞伎の奥深さや素晴らしさがあるのだと私は思う。時に、それを邪魔するようなフィルターがかかることもある。しかし、時には余計な知識を取り払い、極力、自分の感覚に忠実に芝居を観る、というシンプルな作業も、意外に大事なのかもしれない。