相次ぐ歌舞伎の人気役者の死が取り沙汰されている。確かに、中間世代を担う層が一気に薄くなったことは否定のしようがない。しかし、これはこと「歌舞伎」に限ったことではあるまい。

 ミュージカルにせよストレート・プレイにせよ、小劇場演劇にせよ、どのジャンルを取り上げても順風満帆だという話は聞いたことがない。もう何十年も前から、「娯楽の多様化」と言われ、演劇界がジリジリと苦境に追い込まれていることは事実なのだ。

 当然ながら、演劇界の住人たちは、手をこまねいてその様子を眺めていたわけではない。プロデューサー、演出家、俳優、批評家など、それぞれの職分の中で多くの提言をし、提案を実行して世に問うて来たはずだ。

 その中で、すぐに結果が出るものもあれば、そうではないものもある。いずれにしても、何か爆発的な動きを見せ、それが一気に演劇界に活況を呈する効き目を持たないことは、今までの様子を見ていればわかることだ。

 しかし、演劇界の住人である以上、その状況を「危ない」と叫んでいても仕方がない。一体どうすれば演劇界が活況を呈することができるのか。危ないと言うのであれば、少なくも何らかの処方を持って、発言するべきだろう。

 私自身の経験を言えば、この一年で相当数の戯曲をジャンル問わずに読んでみた。条件は、「私が舞台で観たことのない作品」だ。日本であれば歌舞伎以降の作品、海外であれば人気のイギリスやアメリカをあえてはずし、スペインやロシア、南米などの戯曲にも手を伸ばした。

 私に見る眼がなかったのか、残念ながら「これ」というものにはぶつからなかった。また、一年間、俳優養成所の講師として役者の卵に接して、いろいろな話をした。「今の若者は」などというつもりはないが、役者が促成栽培の効かない仕事であることを改めて実感した次第だ。

 「演劇評論家」などと自称すると、何もせずに人の芝居の文句ばかりを言っているように思われても困る。歌舞伎をはじめとする能や人形浄瑠璃など、日本の古典芸能を初心者向けに講座でしゃべることもした。

 私一人の力なぞ、たかが知れているのは承知のことだが、今年は自分で芝居を創ってみようと考え、今、その準備をしている。私が小さな芝居を一本書いたところで、演劇界が活性化するわけなどないのは百も承知だ。しかし、何もせずにいるよりは、自分の微力を尽くせることは何でもしてみよう、と考えたのだ。

 その結果がどうなるのか、私にはわからない。しかし、「蟷螂の斧」でも構わないし「ごまめの歯ぎしり」と言われても良い。それ相応の覚悟を持って、自分の思うことを時には職分の範囲を超える場合でも、何かをしてみないことには始まらないのではないか、と思っている。

 とは言え、一人でできることの範囲など、たかが知れているというものだ。それでも、何もしない傍観者であるよりは、失敗して笑われた方が良い、と思ってもいる。「やらぬ後悔よりもやった後悔」の方が、いくらかでもましなような気がするからだ。結果がどうなるのか、正直な話、自信はない。