劇場の規模は多種多様で、1000人以上を収容する大劇場もあれば、定員50人の小劇場も珍しくない。もっと言えば、屋根がなくとも屋外でも「野外劇場」と称して芝居はできる。

15歳の時だったと思う。東京・早稲田に「早稲田小劇場」という名前そのままの劇場があった。これは劇団の名前も兼ねていて、いわば「小劇場運動」の第一世代とも呼ばれる集団の一つだ。そこで、「サロメ」を白石加代子が上演した。当時からその際立った個性は評価が高く、何としてもこの舞台を観たかった私は、勇躍「早稲田小劇場」の汚い階段を上がった。「狭かった」。それまでに歌舞伎座などでの大劇場での芝居を見慣れた私にとっては新鮮な空間であると同時に、「こんなところで芝居ができるのだろうか…」と、中学生の頭で考えたが、それは束の間、靴を脱いでビニール袋に入れ、それを持って座ったものの、後から後から入って来る観客のためにどんどん私の周りのスペースはなくなっていた。もとより、指定席だの何だの、とうシステムの芝居ではない。

芝居が始まる頃にはいつの間にか前から三列目ぐらいまでに押し出され、体の向きを変えることはおろか、足を組み変えることさえできないほどぎゅうぎゅう詰めになった。蒸れた足の臭いが狭い空間の中に漂うような感覚から来る一抹の息苦しさと同時に、これだけの観客が押し掛ける白石加代子の「サロメ」に対する期待はいやが上にも高まった。しかし…、覚えているのは白石加代子がヨカナーンの首を銀の盆の上に載せている姿ぐらいのもので、後は頭がぼーっとして、おぼろげな記憶しか残っていない。芝居の内容が悪かったとか、理解の範疇を超えるような難解さではなかった。単なる「酸素不足」だったのだ。

「サロメ」はそう長い芝居ではないが、芝居が終わり、家に帰った途端に、急に体調を崩し、一晩苦しんだ挙句に、翌日、近所の医者へ行ったらあろうことか点滴をされた。芝居を観て点滴を受けたのは、後にも先にもこれしかない。医者はカルテに病名を「芝居」と書いたのだろうか…。今も、体調を崩して点滴をされることがあると、この小劇場と点滴がセットになった「初体験」のことをほろ苦くも微笑ましく思い出す。

あの頃の私が純情で、白石加代子の芝居に当てられたのか、酸素不足の中学生の頭には無理な芝居だったのか。もう今となっては証明のしようもない。しかし、なぜか、決して不快な想い出ではないのだ。それは、お世辞にも良いとは言えない環境の中でも芝居を観たいという観客、そして、おそらく100人に満たないであろう観客の前で、今と変わらぬ熱演ぶりを見せていた白石加代子。この「芝居」に対する両者の熱気を自分の肌で感じることができた貴重な体験だったからだ。

その証拠に、私は今でも小劇場の芝居は決して嫌いではない。