先輩に当たる評論家が、「野田秀樹はもうそろそろ舞台へ出るのを辞めればいいのに」と言ったことがある。誤解のないように言うが、これは役者としての才能を否定しているのではない。役者として舞台に立つ時間とエネルギーで、一本でも多くの芝居を書いてほしい、という賛辞だ。私も、それに近い気持ちを持ち合わせえている。野田自身が書き、演じて来た芝居の中の多くは、役者・野田秀樹でなければ演じられないものも多い。同様に、その根幹である作品は、よりコアな「劇作家」としての野田秀樹にしか表現できない世界観のもとに構築されている。そうした意味で言えば、彼が演劇界における稀代のプレイング・マネージャーであることは論を俟たない。
昭和の演劇界には、寺山修司という天才とも異才とも言うべき人物がいた。平成の天才は、間違いなく野田秀樹だ。同い年で盟友でもあった中村勘三郎と池袋の芸術劇場の小ホールで演じた『表へ出ろいっ!』などは、余人を以て変え難い役であると同時に、歌舞伎役者を狂言の役者に扮させ、古典芸能の因習や格調とは裏腹に、家庭崩壊を洒落のめして描くことは、野田秀樹の筆であったからあそこまで面白かったのだ。その一方で、英国でも上演され高い評価を受けた『The Bee』という芝居は、観ているだけで不快感、あるいは嫌悪感を覚えさせる舞台である。お金を払って楽しみに来る観客を厭な気分にさせる芝居、他の意味で厭な気分になることは間々あるが、生理的に受け付けないというところまで科白を駆使し、言葉の力を見せつける力量は、並大抵のものではない。だからこそ、『The Bee』などは、水天宮に近い小さな小学校の跡地で上演していたにも関わらず、平日の昼間の公演に当日券やキャンセル券を求める観客の列ができていたのだ。
東京大学の学生時代に劇団『夢の遊民社』を旗揚げし、それからの活動の華々しさや奇抜な展開は今更説明の必要もない。その華々しい経歴の中で、突出した才能を二つ感じている。一つは、重い問題、例えば天皇制、原子力発電所などのテーマを、芝居の中では鳥の羽根ほどの重さも感じさせずに、笑いの中に封じ込めてしまうことだ。場合によっては、一度さらっと観ただけでは見逃してしまうような場所に、周到なトラップが仕掛けられている。もう一つは、「幼児性」だ。ここで、彼がピーターパン・シンドロームである、などとくだらないことを言う気はない。「どうしたら面白いかな」「これはどうかな」と、子供が新しい遊びを考えだし、それを友達と共に楽しむような幼児性だ。「サービス精神」と置き換えてもよいだろう。
この二つがあるから、野田秀樹の芝居は常に話題になるのだ。「今度は何をするんだろう…」「どういう芝居になるのだろうか」と。2013年の秋には美輪明宏を芝居にする、という「快挙」とも「暴挙」とも言える舞台を創った。現存の人物を芝居にした作品はいくらもあるが、存命中で、しかも第一線で活躍している人間を芝居にする、という例は聞いたことがない。舞台『MIWA』には、限りない作者の美輪明宏に対する尊敬や憧憬が込められていたが、それをストレートに出すわけはなかった。「良くぞこんなことを…」と思うほどに、美輪明宏を多角的にとらえ、分析して見せた。ここまでなら他の作家の芝居でもなくはないが、私が嬉しかったのは、オマージュと同時に、野田秀樹自身の「含羞」が感じられたことだ。恥も外聞もない時代の中で、照れと共に見せた「含羞」こそ、言葉の鎧をまとって舞台で闘う野田秀樹の本質ではなかろうか。そこに価値があり、「平成の天才」と言いたい所以でもある。