サラブレッド中のサラブレッドと言っても良い女優である。本人はそう呼ばれることを必好ましくは思わないだろうが、紛れもなく松本幸四郎の血、高麗屋の血が流れている。初舞台が娘役とは言え歌舞伎座だったのが、それを象徴している。17歳の折の1994年5月に、新橋演舞場での新派公演に、父・幸四郎、兄・市川染五郎と共に出演しているが、初期の舞台で忘れがたいのは、1999年1月の新橋演舞場公演『天涯の花』だ。宮尾登美子原作の小説を舞台化したもので、22歳の若さで初座長を勤めた舞台でもある。徳島県の剣山を舞台に、高山植物・キレンゲショウマを撮影に来たカメラマンと恋に陥る無垢な少女を描いた作品で、相手のカメラマンは内野聖陽が演じた。この時の松たか子の可憐な美しさとその中に真っ直ぐに通った花芯の清らかさは忘れがたい。大劇場での一ヶ月公演の座長は、スポットライトの中心に立つ代わりに想像を絶するプレッシャーと神経に苛まれる立場でもある。それを見事に乗り越えたばかりか、この舞台を一つのきっかけに、一度にいろいろな色の花が咲きだしたような感覚で、次から次へとその才能を感じさせる舞台を見せた。
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「昨年、一番ブレイクした歌舞伎役者」という点ではどこからも異論はないだろう。ずいぶん前のことだが、尾上菊五郎が菊之助時代に大河ドラマでより大きな人気が出たのと共通している点がある。最も大きな違いは、菊五郎が歌舞伎役者としてはお手の物の時代劇だったのに対し、愛之助は現代のドラマで人気が爆発した、という点だ。 関西の歌舞伎とは関係のない家庭の子として生まれ、昭和56年12月に十三世片岡仁左衛門の「部屋子」として京都・南座の顔見世興行で初舞台を踏んでいる。その後、努力と才能を認められ、片岡秀太郎と養子縁組をし、今や歌舞伎界のホープの一人となった。ホープとは言え、芸歴32年のベテランだ。数年前に分かったのだが、私は彼が歌舞伎役者として初舞台を踏んだ舞台を観ているばかりか、仁左衛門の楽屋で片岡千代丸と名乗っていた少年当時の愛之助と会っている。お互いにびっくりしたものだ。
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毎年、この時期になると、「昨年観た舞台の中で各部門のベスト・ワンをあげよ」というアンケートが来る。女優・男優・演出・作品・スタッフなど、いくつかのジャンルで自分が観た芝居の中から「これは」と思う人や作品を選ぶのは、一仕事だ。毎年、去年の観劇メモをめくっては「ああでもない」「こうでもない」としばし考え込む。その時に、いつも頭の中をよぎるのが、「大竹しのぶ」の名前だ。コンスタントに毎年ヒットを放っている証拠だが、去年シアタークリエで再演した『ピアフ』の出来は凄かった。折から、ピアフ没後50年を迎えた昨年、稀代のシャンソニエ、エディット・ピアフに関するイベントや作品は多かったが、大竹ピアフがすべてを浚った感がある。一昨年の初演が好評で、それを受けての再演だったが、支持されるだけあって、初演よりも舞台は凄みを増していた。
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ずいぶん古くから観ている役者の一人だ。30年以上、すべての舞台を、というわけではないが、いろいろな物を観て来た。あえてここで記すまでもなく、役柄の幅の広さ、器用さでは演劇界でも指折りだろう。コメディもやればシェイクスピアもやるし、新作にもどんどん挑む。1975年に劇団「雲」から芥川比呂志を中心に独立した演劇集団「円」の代表取締役でもある。話が複雑になるが、劇団「雲」はそもそもが文学座から分裂してできた劇団であり、私が最初に観たのは1979年のサンシャイン劇場での『夜叉ヶ池』ではなかったか。高校生の頃の話だ。今や、演劇界の重鎮の一人でもある。
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私は「オーラ」という言葉が好きではない。どういうものか、感覚では理解できても、納得する言葉が見つからないからだ。日本語で「華がある」とか「凛々しい」という言葉なら、意味は違うがしっくり来る。
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劇場の規模は多種多様で、1000人以上を収容する大劇場もあれば、定員50人の小劇場も珍しくない。もっと言えば、屋根がなくとも屋外でも「野外劇場」と称して芝居はできる。
15歳の時だったと思う。東京・早稲田に「早稲田小劇場」という名前そのままの劇場があった。これは劇団の名前も兼ねていて、いわば「小劇場運動」の第一世代とも呼ばれる集団の一つだ。そこで、「サロメ」を白石加代子が上演した。当時からその際立った個性は評価が高く、何としてもこの舞台を観たかった私は、勇躍「早稲田小劇場」の汚い階段を上がった。「狭かった」。それまでに歌舞伎座などでの大劇場での芝居を見慣れた私にとっては新鮮な空間であると同時に、「こんなところで芝居ができるのだろうか…」と、中学生の頭で考えたが、それは束の間、靴を脱いでビニール袋に入れ、それを持って座ったものの、後から後から入って来る観客のためにどんどん私の周りのスペースはなくなっていた。もとより、指定席だの何だの、とうシステムの芝居ではない。
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最近、歌舞伎ファンになった読者の方々には予想もつかないことだろうが、今から30年以上前、私が高校生の頃、歌舞伎の興行成績は惨憺たるものだった。「歌舞伎の殿堂」と呼ばれる歌舞伎座で、10ヶ月間毎月歌舞伎が上演されるのは今でこそ当たり前だが、その頃は、年間10ヶ月、残りの2ヶ月は新派公演や萬屋錦之助(先代)、三波春夫などの公演があった。
そういう状況だから、今のように連日満員で前売り開始と同時に観客が殺到などという事態はなく、いかにものんびりしていた。新聞の広告で売り切れや貸し切りの日を確かめ、その日の朝に出かけて当日券を買っても、入れないようなケースはほとんどなかった。
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