昭和の中期に活躍した演劇評論家で小説家でもあった安藤鶴夫(1908~1969)。姓名を略して「あんつる」と呼ばれたり、喜怒哀楽の変化が激しかったために「感動する夫」ともじられたりもして親しまれた一方、対象とする相手の好き嫌いが激しく、それを問題とされることもあった。自身が義太夫の太夫の息子であったことから、義太夫への愛着も深く、三代目竹本大隅太夫(1854~1913)にまつわるエピソードを語り風にしたのがこの『芸阿呆』だ。相方で三味線を勤めていたのが名人と呼ばれた二代目豊澤團平(1828~1898)で、二人の物語を中心に、芸の世界の苛烈な生き方を描いたものだ。 続きを読む
人には誰しも「夢」がある。叶えられるかどうかの問題ではなく、夢を叶えようとする意欲が大切なのだ、とも言う。生き難い現代社会の中で、「これだ」という夢を持ち、そのために邁進し、努力を重ねるのは容易なことではない。しかし、我々の長い歴史の中で、もっと厳しい時代はいくらもあったはずで、「夢」を見たり持てたりするだけでも幸福だ、と思わなければいけないのかもしれない。 続きを読む
昭和の演劇に詳しい読者であれば、森本薫(1912~1946)の作品を取り上げるのであれば、文学座の杉村春子が生涯を賭けて947回にわたって演じた『女の一生』を、という声もあるだろう。34歳で夭折した作家は、家庭を持っていたが愛する杉村春子のために何本かの作品を遺し、いずれも杉村は大切に生涯演じ続けた。70年に及ぶ女優人生の最期の舞台になったのも、この『華々しき一族』だった。 続きを読む
この芝居の略称を『鰻谷』と呼ぶ。大阪に今も残る地名だ。歌舞伎の中では割合に古いもので、人形浄瑠璃での初演が安永2(1774)年のことで、作者などは不詳とされている。元禄期に、古手屋八郎兵衛が、女房のお妻を殺す事件が実際に起き、これが浄瑠璃・歌舞伎の作品に取り入れられて一つの作品群になった。その中で、上演頻度は少ないながら今はこの『鰻谷』だけが残った、と言ってもよいだろう。 続きを読む
先日の新聞記事に、30年後の日本人の高齢化率に伴う人口減少の眼を覆いたくなるような予想が記されていた。あくまでも「予想」ではあるが、問題にされながらも明快な解決策が打ち出せないままに時が過ぎているのが現状だ。「人生は100年で考えろ」といきなり言われても、いったいいつまで働かされるのだろうか、それまでの肉体的・経済的問題はどうなのか、と我々庶民は不安になるばかりだ。 続きを読む
何のインタビューだったか思い出せないが、名女優・杉村春子が、「芝居の世界で一番偉いのはどの職分か」というような質問に対し、「そりゃあ、あなた、脚本家ですよ。あたしたち役者は、台本がなければ何も喋れないんですから」と答えたのを覚えている。同じ舞台を創るのに職分に優劣を付ける必要もないが、杉村の感覚や言わんとするところはよくわかる。日々、種類の違う舞台を観ていて、いかに脚本が重要か、ということを批評家の立場で痛感しているからだ。 続きを読む
1975年7月にブロードウェイで初演されたミュージカル。マイケル・ベネットの原案・振付・演出、マーヴィン・ハムリッシュの音楽によるもので、ブロードウェイの劇場を舞台に、オーディションに参加するダンサーたちの姿を描いている。舞台の裏側を描いた「バックステージ物」と呼ばれる作品群の一つだ。煌びやかな世界の裏側には多くの人が興味を示すが、そこにあるのは過酷な現実だ。同時に、さまざまな人間模様が展開されてもいる。それを、音楽やダンスと共に見せるのがこの作品だ。 続きを読む
ご存じ「歌舞伎十八番」の中でも、人気のある演目で、吉原を舞台に花川戸の暴れん坊・助六と吉原の花魁で助六の愛人・揚巻、敵役の髭の意休の三人を中心に展開する物語だ。舞台が遊廓なだけに、煌びやかで大勢の役者が登場するフェスティバルのようなイメージがあるが、実はこの作品、上方の生まれである。元禄期に、京都で起きた心中事件を歌舞伎にしたものが江戸に移され、長い歳月の間に洗い上げられて現在の姿になったのだ。 続きを読む
私は、「演劇は時代と共に変容する」という考えを持っている。時代によって受け入れらないものもあれば、時代が変わって大ヒットする作品もある。しかし、これらの多くは、一度舞台に乗せた脚本を大幅に変更しながら時代と共に歩んでいるわけではない。作者としては「完成版」を上演するのが原則であり、上演の都度直していたら、身がもたないだろう。 続きを読む
昭和という長い時代を活動期の中心に生きた作家の中で、「文豪」の名に相応しい一人が谷崎潤一郎(1886~1965)ではないか、と私は勝手に考えている。没落しゆく大阪・船場の旧家の四姉妹を描いた『細雪』は今なお、キャストを変えて上演され続けている。あるいは、『刺青』、『卍』、『春琴抄』などのように、独特の耽美的な世界に惑溺する小説を思い浮かべる読者もいるかもしれない。 続きを読む