詩人、小説家、劇作家、映画監督、画家など多彩な顔を持つ20世紀の巨人とも言うべきフランスのジャン・コクトー(1889~1963)。優れた戯曲も残しており、『双頭の鷲』にするべきか、この『声』を取り上げるか、迷った末に『声』にした。 続きを読む
詩人、小説家、劇作家、映画監督、画家など多彩な顔を持つ20世紀の巨人とも言うべきフランスのジャン・コクトー(1889~1963)。優れた戯曲も残しており、『双頭の鷲』にするべきか、この『声』を取り上げるか、迷った末に『声』にした。 続きを読む
近松門左衛門の『夕霧阿波の鳴門』の改作である。文化5(1808)年に、この外題(タイトル)で初演されたと思われるが、そこへ至るまでの数多くの改作がなされており、その歴史をたどることは目的ではない。
華やかで艶やかな上方和事の代表作とも言うべき『廓文章-吉田屋』。師走の色街を舞台に、放蕩の挙句に勘当になった若旦那・藤屋伊左衛門が、馴染みの遊女・夕霧がいる「吉田屋」を訪ねて来る。今は一文無しの身の上でも、大事なお得意様のこと、店では主人夫妻が手厚くもてなすが、伊左衛門が気になるのは、想い人・夕霧のことだ。会えなくて怒ってみたり、やっと逢えれば拗ねてみたりと、駄々っ子同然の若旦那である。最後には、理由はわからないが、勘当が許され、果ては夕霧の身請けのための千両箱が舞台に積まれて幕となる。何とも「めでたい」芝居だ。しかし、こうした作品に理屈を求めることに意味はない。
江戸時代以来、歌舞伎の中を脈々と流れて来た「傾城買い狂言」の一つとして、その雰囲気や味わいをどう見せるか、が一番の問題だ。「紙衣」(かみこ)と呼ばれるつぎはぎの衣裳でも、大家の若旦那である悠揚迫らざる風情と、勘当されるほど廓で遊び尽くしてもなお、という男の色気。この雰囲気を見せられるかどうかが、すべて役者の腕にかかっている。荒唐無稽なストーリーであろうが、観客が舞台の美しさや楽しさに納得し、その味わいに酔うことができれば、この芝居の役割は果たしたことになる。時代物のようにキチンとした「型」があるわけではなく、役者がまとっている風情で見せる役だけに、役者の力量が問われる演目でもあろう。
伊左衛門は、近年では片岡仁左衛門、夕霧は坂東玉三郎、四世中村雀右衛門の当たり役である。上方狂言という成り立ちから、同じ関西の坂田藤十郎、中村鴈治郎も頻繁に演じており、初代中村鴈治郎が自らの当たり役を集めた『玩辞楼十二曲』(がんじろうじゅうにきょく)の中にも含まれている。ほぼ毎年上演されるほどの人気作品の一つで、若手では片岡愛之助も手掛けている。もっと時代を遡れば、十七世中村勘三郎、十三世片岡仁左衛門、二世中村鴈治郎など、昭和の名優が手掛けて洗い上げて来た作品でもある。
江戸・上方に限らず、役者の風情で見せる芝居は非常に難しい。この『吉田屋』にしても、幕開きからしばらく経って、花道から深編笠を被って出て来た伊左衛門が、踊るのではなく「振り」で、若旦那がうらぶれている様子を見せる。底冷えのする京の寒風に吹かれ、紙でできた着物をまとうほどに落ちぶれている。しかし、それでもみじめに見えない鷹揚な若旦那であり、色気を失わない役柄であることを観客に感じさせなくては失敗、ということになる。この場面で観客を『吉田屋』の世界に引き込んでしまえば、舞台へ出てどんなにバカバカしく稚気溢れる芝居をしようと、それは役者の魅力や味、と評価されることになり、役者の勝ちだ。多くの芝居で「花道の出が大事だ」と言われる。その理由は、こうした部分にある。
ギスギスした時代だからこそ、ありえないような虚構の空間と時間に設定された物語を楽しむ歌舞伎の楽しさが溢れた作品である。それをこれからの若い世代がどう引き継いで見せるのか。一朝一夕では出ない芸の「味」や「匂い」の難しさは、こうした芝居でも問われることになる。伝統を継承することの難しさを感じる芝居だ。役者には難しい宿題のような芝居だ。
ロシアの作家・アルブーゾフ(1908~1986)年が書いた二人芝居で、サナトリウムでのひと夏に起きた院長と一人の女性の淡い恋物語だ。と言っても、二人はとうに60歳を過ぎている。今なら何ということもない話だが、日本で初演された1979年、いまから40年近く前には、新鮮かつ「日本人にはできない」といった感覚も少し加わって幕が開いたような感覚である。
その証拠の一つとも言えるのが、初演のメンバーが、歌舞伎の大御所・尾上松緑(二世)と、文学座の杉村春子という「大顔合わせ」だったからだ。当時、松緑は66歳、杉村は73歳。スポーツ新聞の芸能欄に「合わせて140歳の恋物語癩!」というような見出しが大々的に出たことでも、当時の感覚がわかるというものだ。もっとも、歌舞伎と新劇の名優の顔合わせを煽る目的があったことは想像に難くない。
わがままで気ままな女性と実直な男やもめの院長のひと夏の淡い恋を描いた作品は、二人の芝居で大当たりになった。その後、「新劇の三大劇団」とよばれる俳優座、民藝が上演したばかりか、いろいろなカップルが「大人の恋」の二人芝居を舞台に載せた。ただ、版権の関係か、上演する劇団により、全部タイトルが違っていた。俳優座では松本克平と村瀬幸子のコンビで『八月に乾杯!』、劇団民藝では、米倉斉加年と客演の越路吹雪で『古風なコメディ』のタイトルで上演された。
因縁めいた話にするつもりはないが、村瀬幸子は地方公演中のホテルで客死し、越路吹雪はこの公演後、胃がんで病の床につき、これが最期の舞台になった。単なる偶然だが、そうしたこともこの芝居を印象付けた一つの要素だった。この芝居には劇的な展開や驚くような出来事はない。しかし、年齢を重ね、残された時間もそう長くはない大人同士の間に揺れ動く感情を表現するには、役者も経験を積んだ人でなければ、その味わいは出ないだろう。青春の爽やかさ、では表現できない芝居だ。
アルブーゾフという作家は、それ以前から『イルクーツク物語』、『古いアルバート街の物語』など、今も時折上演される作品で、すでに名を成していた。その晩年に近い時期に残した作品の中で、『ターリン行きの船』はそれまでの作品とは一線を画す雰囲気を持っている。
もう時効にしても良いだろうから、この芝居にまつわるエピソードを一つ。アルブーゾフが亡くなって数年後、ある演劇人が未亡人を日本へ招待したことがあった。まだロシアとのやり取りが今ほどに簡単ではなく、政治的な面でも窓口になる人が必要な時代だった。その時に、政治面での窓口になったのが、2015年に96歳で亡くなった、女性で初めて衆議院議員を務めた園田天光光(そのだ・てんこうこう)さんで、演劇関係の窓口になったのが私だった。今考えれば、30を出たばかりで、何とも恐ろしい暴挙をしたものだ。
アルブーゾフ夫人は、当然ながら日本語には不案内で、通訳の方と共に二日ばかり箱根へ遊んだ。ロシアと日本の演劇を中心にした話題に楽しく夜を過ごしたことは、光栄なことだった。天光光さんを交えての会食は何とも贅沢な時間で、きちんとおもてなしができたかどうか自信はないが、アルブーゾフ夫人は心から日本の滞在を喜んでくれたと聞いた。私がこの芝居に愛着を持つのは、そんな事情があるからかもしれない。
023.『おりき』作:三好十郎 2017.09.11
作者の三好十郎は、昭和初期から戦後の復興期にかけて日本の劇壇で最も活躍した作家の一人、という紹介で間違いはないはずだ。思想的にはプロレタリア演劇から始まり、左翼思想に疑問を感じて距離を置いた後は、それまでの既成文学への批判的な立場を取った。一人の作家の思想が時代とともに揺れ動くのは当然のことだ。今は、思想的な面で言えば動きも緩やかで劇作家の作品の前面にそれが押し出されるケースが少ない、ということになろうか。 続きを読む
「不条理劇」の代表作として、ベケットの『ゴドーを待ちながら』と双璧をなす、というほどに上演されている芝居だ。登場人物は三人、上演時間も一時間に満たない「小品」だが、そこに込められたメッセージは、観客を混乱も惑乱もさせる。イヨネスコ(1909~1994)はフランスの不条理演劇を代表する劇作家だが、そもそも「不条理」とは何を指すのだろうか。簡単に言えば、演劇、特にヨーロッパの古典演劇のルールを無視した、「あり得ない」事象が芝居の中で展開していく、ということだろうか。 続きを読む
「こいのたよりやまとおうらい」または「こいびきゃくやまとおうらい」と読む。宝暦7(1757)年の初演というから、約260年前の作品だ。この作品には原作があり、近松門左衛門の『冥途の飛脚』がそれに当たる。著作権のない時代は今とは考え方が正反対とも言え、先行作品の面白い部分をいかに「頂いて」、さらに面白く練り上げて見せるか、が歌舞伎の狂言作者の腕の見せ所でもあった。元よりそこには「剽窃」や「盗作」というマイナスのイメージはない。 続きを読む
新派の名作として名高いこの芝居、実は実際の事件を元にした作品である。15歳で新橋から芸者に出た「花井お梅」が、いくつかの花街を転々とした後、浜町河岸で芸者の身の回りの世話をする「箱屋」の峯三郎を殺害し、無期徒刑となった。40歳で釈放されたお梅は、自分の犯した罪を芝居仕立てにして地方を回ったり、店を開いたりしたが、いずれも長続きはせずに、53歳で世を去った。 続きを読む
「ほととぎすこじょうのらくげつ」と読む。いかにも難しい題名で、作者の坪内逍遥は、明治時代に起きた「言文一致運動」の影響を受け、『小説神髄』を発表し、それまでの「戯作」を「文学」に高めた一人である。演劇界においての逍遥の仕事と言えば「日本初のシェイクスピア作品の全訳」が筆頭に挙げられるが、歌舞伎作品も遺している。時折上演される舞踊『お夏狂乱』もその一つだが、この『沓手鳥孤城落月』は、歴史劇で明治38年に初演された。豊臣と徳川の戦で、大阪城落城の折の淀君と秀頼親子、そして片桐且元らの姿を描いた作品で、『桐一葉』と双璧をなす作品だ。 続きを読む
この秋に、大竹しのぶが渋谷のシアターコクーンで上演することが決まっている。アーサー・ミラーと並ぶ現代アメリカ演劇の劇作家、テネシー・ウィリアムズの代表作の一つだ。1947年にアメリカで初演され、日本では7年後の1952年に文学座が初演をし、以来、主役のブランチは、杉村春子の代表作の一つとなって晩年まで回を重ねた。杉村の存命中は、青年座の東恵美子、新派の水谷良重(現・二代目水谷八重子)、俳優座の栗原小巻が演じたくらいで、ほとんど杉村の専売特許の感があったが、杉村没後は樋口可南子、大竹しのぶ、高畑淳子、珍しいところでは女形の篠井英介が黒のセーターとパンツで、衣裳をつけずに演じたこともある。 続きを読む
明治から昭和にかけて活躍した泉鏡花は、明治以降の近代文学において、一つの「美学」の水脈を作った作家だと私は考えている。鏡花に端を発した耽美的な美学は谷崎潤一郎を通り、三島由紀夫に受け継がれ、赤江瀑(1933~2012)まで、時には地下を流れる水流のように連綿と続いた。 続きを読む
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