喜劇役者としてはベテラン中の大ベテランだ。出て来た瞬間にとぼけた雰囲気で観客の笑いのスイッチを入れる力はたいしたものだ。今までの長い芸歴の中で培ってきたイメージが、それほどに強烈なものだった、ということだ。「左とん平が出てくれば、何か面白いことを言ったりしたりするに違いない」とう観客の期待が満ちており、それにきっちり答えることは、いい加減な役者ではできない。

二年ほど前のことだ。あるコメディの地方公演があり、舞台を観て、終演後に酒席を共にした。その舞台で、主役の女優と二人のシーンがあり、そこでやや長い科白があるのだが、この科白が見事なまでにめちゃめちゃだった。「要するに、あのことについて、お前に言いたいのはあれ、だろ。何て言うかな。まあ、なんとかなるだろう」といった感じで、具体的な内容がない。観客は爆笑した。それを、相手の女優が、「あんたねぇ、さっきからあればっかりじゃ何のことだか分からないわよ。あんたの言いたいのはこれこれこういうことでしょ」と切り返したため、観客の笑いはさらに倍増した。これは、単なるアクシデントではなく、百戦錬磨の役者同士の信頼関係から出て来る高等技術だ、と私は感じた。この場面、私は左とん平が意図的に科白をごまかして笑いに導いたのか、本当に忘れたのか、真相を聴くことはしなかった。どちらも、楽にこなせる役者の実力を目の当たりにしたからだ。

ここで、固い話を持ち出せば、「いい加減な演技だ」と言うことはできる。しかし、観客の割れんばかりの声に包まれたあの空間で、それを全面的に否定することが100%正しいのか、それを確固たる自信を持って言うことはできなかった。一言で言えば、「融通無碍」なのだ。それでいて、酒席では、先ほど終わったばかりの舞台の細かな部分までをきちんと覚えており、自分なりに今日の出来を冷静に分析する眼を持っていた。すべてが計算に基づくものだと言われれば納得もできるし、長い間喜劇人として芝居をしてきた結果なのだと言えば、それも頷ける。

こういう笑いの高等戦術を使える役者は他にもいるかもしれない。しかし、左とん平が凄いのは、全く笑いのない芝居で、時にふとした哀愁を漂わせたり、完全な悪役に徹し、ふだんの姿を微塵も感じさせないところにある。明治座で米倉涼子が『黒革の手帖』を演じた折に、最終的には罠にはめる役回りだったが、この時にはふだんの剽軽で気軽なイメージは影もなかった。小柄ながらふてぶてしいまでのしたたかさを重ねた「年輪」を見事に表現して見せた。

こうして、硬軟自由に演じ分けられるところに左とん平の凄さがあるのだ。長らく森繁久彌と共に舞台・テレビの仕事で共演し、先輩から盗んだ芸の蓄積が、こうして役者の財産になっているのだ。森繁久彌が亡くなった翌年、左とん平、松山政路と三人で、「我らがオヤジ、森繁久彌を語る」というトークショーをしたことがあった。

もう時効だが、14:00頃からの鼎談の前に、三人で昼食を取りながらランチビールで燃料を補給し、故人の想い出を語ってさんざん話した挙句、「今日は二回公演だ」と言いながら、本番の鼎談を迎えた。良い意味で三人とも肩の力が抜けていて、楽しく故人の想い出と悪口を語り、お客様も多いに笑って故人を偲んでくださった。今考えてみると、ざっとした打ち合わせの昼ごはんで「軽く入れようよ」とビールを注文した左とん平の言葉は、二人の役者を前に進行の責を担う私への細やかな気遣いだったのだ。