第七夜「京都と演劇」(2020.07.13)
中村 タイトルだけを読むと、いささか唐突なようだけれど、日本の演劇の「原点」の一つでもある場所だからね。僕は一度、話してみたいテーマだった。
佐藤 僕も、撮影で太秦(うずまさ)の撮影所へ出掛けることはありますが、映像の仕事ですし、京都で「演劇」を意識したことはなかったですね。何と言っても「観光地」のイメージが強いし。具体的には、どんな関係性ですか?
中村 まずは京都の繁華街「四条河原町(しじょうかわらまち)」、南座という劇場のある場所が「出雲の阿国(いずものおくに)の歌舞伎発祥の地」とされている事だね。また、ここにある「南座」は京都では唯一の歌舞伎の常設劇場だし。今はここしかないけれど、江戸時代には江戸の「江戸三座」のように、公の許しを得た劇場が軒を並べていた、「文化の発信地」でもあったしね。
それに、有名な観光地だけではなく、京都の各地が芝居の舞台のモデルになっている。歌舞伎が一番多いのは歴史的な長さがあるからだけど、君の好きな新国劇の『月形半平太(つきがたはんぺいた)』にも「祇園(ぎおん)」の場面が出てくるよね。
佐藤 確かに。「春雨じゃ、濡れて行こう」の有名な台詞は祇園が舞台ですね。他にはどんなところがありますかね?
中村 うーん。ざっと想い出すだけでも、古刹(こさつ)の一つ「南禅寺」の山門は、盗賊の石川五右衛門(いしかわごえもん)を主人公にした『金門五三桐(きんもんごさんのきり)』という作品の一場面で使われていて、今も割に上演される場面としては、その中の南禅寺の楼門を舞台にした楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』があるね。
他にも、歌舞伎の三大名作の一つ、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』という大長編の「七段目」が、今も営業をしている祇園の有名な「一力茶屋(いちりきぢゃや)」が舞台になっているし。「九段目」は、場所は少し離れるけれど「山科(やましな)」で展開される物語。
明治期に書かれた岡本綺堂(おかもときどう)の『鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)』など、江戸から昭和まで、幅広い年代にわたって、いろいろなジャンルの作品があるね。他にも、探せばたくさん出てくると思うよ。
佐藤 なぜなんでしょうね?
中村 歴史的には、「江戸」よりも先に「京・大阪」が文化、経済的に先に発展したことは大きな要素だよね。他の日本の伝統文化、「茶道」にしても「香道」、「華道」など、京阪地方で生まれ、育ったものは多いよね。
佐藤 そこにつながるんですか! じゃあ、歌舞伎以外のジャンルの芝居もあるんですよね?
中村 そうだね、さっきの『月形半平太』、それから、京都の遊廓(ゆうかく)「島原」を舞台に、北條秀司(ほうじょうひでじ)が新派の花柳章太郎(はなやぎしょうたろう)に書き下ろした『太夫(こったい)さん』。同じ新派で、やはり北條秀司が祇園の「京舞(きょうまい)」の「井上流」をモデルにした『京舞』もそうだね。
佐藤 へぇ。「太夫(こったい)」って何ですか?
中村 江戸では、遊女のことを同じ文字を当てて「太夫(たゆう)」と言うけれど、京都では「こったい」と呼ぶんだよ。遊廓だから、当然今は営業をしていないけれど、作品のモデルになった「輪違屋(わちがいや)」という置き屋、太夫が暮らしていた建物は保存されているんじゃないかな。まぁ、かつての「吉原」の京都版、と考えればわかりやすいかな。
佐藤 行ってみましょうよ! こういう物は、「実地検証」は重要ですよ。
中村 何か勘違いをしているんじゃないの?(笑)。確かに、その風情を味わい、当時の姿を偲べば、イマジネーションは広がるかもしれないね。
佐藤 文化的な歴史は京都の方が古いにしても、東京にも芝居のモデルになった土地や場所はたくさんありますよね?
中村 もちろん。ただ、書かれた年代にもよるけれど、当時の面影を感じられる場所はもう相当少ないだろうね。昭和期の作品でもかなり難しいのではないかな。もっとも、これは京都に限ったことではないけれど。
佐藤 なるほど。でも、「一見の価値」はありますよね。
中村 どういう観点か、によるだろうね。京都は、まだ古い寺社仏閣がたくさんあるから、そういう点ではイメージしやすいかもしれないね。
佐藤 じゃあ、芸能の原点の探索は必要ですね!
中村 何だか、やけに京都に前のめりだね(笑)。「そうだ、京都行こう!」じゃないんだから。
佐藤 そうじゃないんですよ! 名作の舞台になった場所が、今はどうなっているのか、それを実際に肌で感じてみたい、というか。
中村 それはいいけれど、「感じて」どうするの? 「あぁ、良かった」じゃ、ただの自己満足で終わってしまうよ。
佐藤 そこで、役者としてどんな感覚を持てるのか、それを皆さんにどう伝えられるのかに挑戦したいですね。
中村 それが何につながるの?
佐藤 それで、京都を舞台にした歌舞伎や新派、新国劇や他のジャンルの多くの芝居に、違った角度から興味を持ってもらえれば、それもまた「アリ」じゃないですか。
中村 うん。発想としては悪くないね。ただ、今日はグイグイくるね。何か邪心が含まれているような…(笑)。動機がいささか不純な気もするけれど、この「演劇夜話」も東京を飛び出して、芝居のモデルになった土地で、その空気感の中で「対話」をするのも、ありかもしれないね。いつの日かわからないけれど、「京都」なら相当いろいろな作品に関連するから、一度、フィールドワークに出かけるのも悪くはないね。
佐藤 そうですよね! ぜひ行ってみましょう。
中村 そうだね。ただ、君の邪念をもう少し減らしてからの方がいいかもしれない(笑)。
では、いつか、京都から、できれば映像なども交えた形での新しい「対話」がお届けできるように考えてみることにしましょう。時期はお約束できませんが。
佐藤 皆さん、お楽しみに!
中村 君が一番楽しそうだよ。
(了)