「『明治の演劇』って何だ?」

佐藤 先生、芝居の勉強をしていると、日本の作品はどうしても江戸時代の歌舞伎と明治以降の芝居とで大きな差があって、何だかモヤモヤした壁、みたいな物に突き当たるんです。今日はその辺りのことを教えてください。

中村 今日はやけに素直に来たね。「攻守交替」かぁ…。一番大きな要素は、一般的には「明治維新」が起きて、海外からの近代的な思想がドッと流れ込んで、生活から習慣から大きく変わったよね。演劇もその波を受けた、ということじゃないのかな。

佐藤 具体的にはどういうことですか?

中村 一言では言えないほど激変したから、その一々を話すのは難しいけれど、大きな点で言えば「リアリズム」ではないかな。極端な例えになるけれど、それまでの歌舞伎は、面白ければ話の整合性や論理性は二の次だった部分がある。一見何でもないような人が実は源義経だった、とか。そういう意外性が歌舞伎の面白さの一つでもあったからね。ただ、明治になって、そういう方法が「荒唐無稽だ」と批判されて、歌舞伎も「リアル」な歴史を描くように政府から指導されたりしたからね。

佐藤 そんな事があったんですか。

中村 それに加えて、海外諸国と交流をするようになったから、イギリスのシェイクスピア、ノルウェーのイプセン(1828~1906)、ロシアのチェーホフ(1860~1904)などの作家の作品、いわゆる翻訳劇が入って来て、「新劇」と呼ばれる芝居の基礎になった時代でもあるね。

佐藤 それって、何年ぐらい前なんですか?

中村 130年ほどじゃないかな。

佐藤 そんなに古くからシェイクスピアを!

中村 ただ、海外の作品には「翻訳」の問題があるからね。日本で最初にシェイクスピアの作品を全訳した坪内逍遥(つぼうち・しょうよう、1859~1935)の台本を読むと、『ハムレット』の「生か死か、それが問題だ」という有名な台詞が「世に在(あ)る、在らぬ、それが疑問ぢゃ」となっていて、時代感を感じるね。逍遥は昭和初期まで活躍したけれど、生まれは江戸時代末期だからね。

佐藤 これは単に僕の知識不足なんですけど、明治の台本って読み難いし難しいですよね。

中村 「歴史的仮名遣い」だからね。場合によっては、句読点を明確に打っていないものも多いから、どこで切れるのかが分からない場合もあるし。

佐藤 なるほど。「翻案」と「翻訳」って違うんですか?

中村 これも、明治にはじまった現象だね。例えば、君の好きなエドモン・ロスタン(1868~1918)の『シラノ・ド・ベルジュラック』。あれを、人名も場面もそのままで上演すれば、これは「翻訳」。設定や人物を日本に置き換えて『白野弁十郎(しらの・べんじゅうろう)』として演じるのは「翻案」。明治の初期は、外国人の名前にも馴染みがないし、まだ江戸時代の記憶がすぐそこにあるから、「翻案」で日本に置き換えた作品が多く見られるね。

佐藤 そういうことなんですか。

中村 河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ、1816~1893)、って知ってるよね。

佐藤 名前だけは。

中村 会ったことがあったら怖いよ(笑)。黙阿弥は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎の作者で、作品の中には海外の物を「翻案」したものが結構ある。今でも時折上演される『人間万事金世中』(にんげんばんじかねのよのなか)とか。落語で明治期に大きな活躍を見せた三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう、1839~1900)の噺にもあるね。

佐藤 そうなんですか! 『人間万事金世中』は以前、前進座の公演で観ましたけど、原作が海外だとは全然気づきませんでした。

中村 そこは黙阿弥の巧さかな。

佐藤 でも、歌舞伎だけじゃなくて、他の演劇もどんどん出て来たんですよね。

中村 もちろん。さっき名前を挙げた坪内逍遥は、翻訳だけではなくて歴史劇『沓手鳥孤城落月』(ほととぎすこじょうのらくげつ)や『桐一葉』(きりひとは)などの豊臣・徳川の戦いを描いた作品を残して、これは歌舞伎のレパートリーになっているね。後は、君がこの間このコーナーのスペシャルで「讀み芝居」をした小山内薫(おさない・かおる、1881~1928)だとか。あそこで取り上げた『息子』も、原作は海外のものだからね。それから、明治以降の歌舞伎作品に多くのレパートリーを残した岡本綺堂(おかもと・きどう、1872~1939)も忘れることはできないね。『修禅寺物語』(しゅぜんじものがたり)や『鳥辺山心中』(とりべやましんじゅう)などは、明治以降に書かれた「新歌舞伎」のレパートリーとしてしっかり根付いているし。

佐藤 そうでしたね。『息子』は「翻案」になるんですね。

中村 そう。後は、劇作専業ではないけれど、泉鏡花(いずみ・きょうか、1873~1939)、森鴎外(もり・おうがい、1862~1922)、武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ、1885~1976)、岸田國士(きしだ・くにお、1890~1954)…。

佐藤 今、岸田國士の作品に興味を持っていて、短編の戯曲を中心に読んでいますが、全然古くないんですよね。そこが面白くて。今読んでいても「うんうん」っていうところがたくさんあります。

中村 日本の近代演劇の父とも言われる作家だからね。当時の感覚では相当斬新だったんではないかな。

佐藤 今でも結構上演されますよね。その辺りなんでしょうかね。

中村 人間の本質を描いていて、それは100年や200年で変わるものではないから、そこも評価されているわけだね。

 君が「明治時代」をどのような印象で捉えているのか分からないけれど、意外に進んでいたよ。明治の末には、日本で最初の「創作オペラ」も上演されているしね。

佐藤 そうなんですか! まったく想像も付きませんけど…。

中村 第二次世界大戦の後もそうだったけれど、日本は島国で閉鎖的だという意見がある一方で、かなり高い適応能力を持っているのではないかな。僕の持論で「演劇は時代と共に変容する」というのがあるんだけれど、海外の新しいものを巧みに取り入れながら、変化をしたような気がする。もちろん、成功例ばかりではないだろうけれど、大きな時代の変わり目で、物凄いエネルギーに満ちていたんだろうね。

佐藤 昔の海外の戯曲を読んでいて気付いたんですけど、訳している人が森鴎外とか、有名な作家なんですよね。

中村 鴎外は医師だったから、ドイツへの留学経験があったし、夏目漱石(なつめ・そうせき、1867~1916)もイギリスへ留学してるよね。あの時代の人々の強みは、すぐ前までの江戸時代の古典漢籍の教養をたっぷり持っている上に、積極的に新しい海外の文化に触れようとしたスケールだと思う。想像の域を出ないけれど、新しい時代の変わり目を生き抜くには、新しい物を積極的に取り入れ、自分の物にするために、相当のエネルギーが必要だったんじゃないか、と思うよ。

佐藤 僕なんかはまだまだ勉強が足りない、ということですね。

中村 それは君だけではなく僕も同じだよ。「明治の演劇」と一口に言っても、歌舞伎の変容もあれば、今までに述べたような「新劇」の出現もあれば、「新派」も登場するからね。もう40年も芝居の勉強をしていても、やればやるほどに分からない問題が出て来て、難しくなるような気がすることがしょっちゅうだからね。

 45年、半世紀近く続いた明治時代の演劇は、一回や二回では語れない大きな問題だと思うんだ。更に勉強を重ねて、また折を見て話すことにしましょう。今日はこの辺で。

(了)