コラム

日本の文化と芸能

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市川團十郎の死

私が最期の團十郎の舞台を観たのは、昨年十月の新橋演舞場の「七代目松本幸四郎追遠」の舞台で昼夜にわたり、従兄弟の松本幸四郎と演じた『勧進帳』だった。千秋楽間近のある一日に昼夜を観たが、昼が團十郎の弁慶に幸四郎の富樫、夜は幸四郎の弁慶に團十郎の富樫、義経はどちらも藤十郎という顔ぶれだった。團十郎は、風邪気味ったのか喉を悪くしたのか、発声がいかにも苦しそうで、弁慶と富樫との問答などは聞いていて気の毒なほどであった。役は違えど『勧進帳』という大曲を昼夜二回演じるのは、並々ならぬ気力と体力を必要とする。幸四郎も團十郎も、『勧進帳』には愛着一入ならぬものがあり、体調不良は感じさせながらも、幸四郎に一歩も譲らぬ気迫が感じられた。
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大滝秀治という役者

今年はベテランの訃報が相次ぎ、生老病死をことに強く感じている。私が、大滝秀治という役者を初めて意識したのは、舞台ではなくテレビだった。1975年に放送された東芝日曜劇場で八千草薫と共演した「うちのホンカン」というドラマだった。倉本聰が非常に良い仕事を残していた時期の代表作でもある。北海道の片田舎の駐在所に赴任してきた融通の利かない、しかし心の温かな警察官の役が印象的で、好評を博した。もう40年近く前の話で、詳細は覚えていないが、当時から今のような風貌だったような気がする。若い頃から老け役を演じる機会が多かったせいだろう。
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最後の「女役者」山田五十鈴

山田五十鈴が95歳で長逝したのを早朝に知った。数年前から療養中と聴いてはいたし、年齢的なことを言えば大往生だとも言える。しかし、舞台を去るきっかけになったのは、ふとした怪我が元だった。

私の手元のメモによれば、最初に山田五十鈴の芝居を観たのは昭和52年の帝国劇場公演「愛染め高尾」となっている。子供心に何と豪華な女優だろうか、と思った。たっぷりした体格の故もあったが、顔の造りやその時の芝居の印象で、「豪華絢爛」というイメージを持ったのだろう。
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追悼・赤江 瀑

幻想・耽美の世界で一つの分野を確立した赤江瀑氏の訃報が入ったのは、京都の南座で玉三郎公演を観た直後だった。今年は、中村雀右衛門、淡島千景をはじめ、名優の訃報が多く、さらに、自分が物書きとして影響を受けて来た作家の急逝は、想いもよらぬショックを与えた。

赤江瀑という作家は、世間的には売れっ子作家とは言えない。しかし、ごく一部の熱烈なファンが、その「美毒」とも呼ぶべき独自の世界に魅了され、惑溺していたのは事実だ。更に言えば、赤江瀑の「美毒」の影響を、少なからぬ同業の作家が受けていることだ。これは稀なケースとも言える。「玄人好み」という言い方は、上から物を観るようでしたくはないが、いわゆる一般受けのする作風ではなかった。
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追悼・淡島千景

2月16日の朝、満88歳の誕生日を目前に、すい臓がんで稀代の名女優が逝った。初舞台から71年、宝塚の人気娘役を経て退団後は松竹の専属となり、「夫婦善哉」は言うに及ばず、日本映画の黄金期を築いた女優の一人である。

一方、舞台での活躍も幅広く、長谷川一夫の相手役として、あるいは山田五十鈴とのコンビで幾多の作品を遺しているが、私がすぐに思い出すのは、谷崎潤一郎の「細雪」の長女・鶴子と、「毒薬と老嬢」のアビィである。前者は古き良き時代の大阪・船場の旧家の長女のプライドと、それゆえの古風な女性の姿を見せ、後者では海外の喜劇をいとも軽やかに演じ、客席を大いに湧かせた。また、ここ数年の舞台では「あかね空」の料亭の女将の役が印象に残っている。
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追悼・中村雀右衛門

立て続けに名優の訃報を聞くのは辛いものだ。先週、淡島千景の訃に接したばかりなのに、歌舞伎の女形の中村雀右衛門が91歳で長逝した。ここ二年ばかりは高齢のゆえか体調を崩して舞台を休んではいたが、いつまでも若々しいイメージを持っていた役者であったことや、舞台へ出なくとも存在してくれている、という安心感があった。昭和の歌舞伎を背負って来た大きな役者がまた一人、逝ってしまった。
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野田秀樹と紫綬褒章

今年は先の震災の影響を鑑みて、従来4月29日に発令されていた「春の褒章」の受章者が先日発表され、その中に「野田地図」を主宰する野田秀樹の名があった。念のために若干の説明を加えておくと、「褒章」にも紫綬、黄綬、藍綬などいくつかの種類がある。社会貢献や人命救助などに贈られるものもあり、「紫綬褒章」は芸術・科学などの文化の発展を中心とした業務に従事する人々の中から選定されるもので、数年前までは60歳以上という規定があったはずが、その枠もはずされ、若いスポーツ選手が受賞したことなども記憶に新しい。
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【書評】「落語評論はなぜ役に立たないのか」 広瀬和生 光文社新書 740

実は、私は書評を書くのが好きではない。20年近く前に、ある本の書評に一夏を潰した苦い経験があるからだ。もう一つは、私自身が物を書く人間であり、同じ立場に立って他の作家が書いたものを批評するのにいささかのためらいがあるからだ。

しかし、その二つの逡巡を振り切ってなお、「今、書いておくべき」本について書くことにする。「落語評論はなぜ役に立たないのか」。本書を読んで、私は喉元へ匕首を突き付けられたような想いがした。すべてが当てはまるわけではないが、「落語」の文字を「演劇」に置き換えることがいともたやすく、不自然ではないからだ。本書は「落語とは何か」「落語評論家とは何者か」に、特別付録として著者による2010年の落語家のランキングが併載されている。
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昭和のコメディアン、また一人旅立つ

「コント55号」で一世を風靡した坂上二郎が、76歳で逝った。かねてより病気療養中で、今年の明治座公演も降板という状態だったので、「とうとうか…」との想いがあるのは事実だ。誰の人生でもそうだが、長く生きていれば、見送る人の数も多くなるのは当然だ。私自身、30数年芝居を観ていて、今までに何人の演劇人を見送ったことだろう。観客として、だけの場合もあり、個人的なお付き合いのある場合もあった。
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追悼・森繁久彌

2009年11月10日、森繁久彌が96歳で長逝した。ここ数年間は、年齢や体調の問題もあり表立った芸能活動を控えていたが、昭和の一つの時代を築いた稀代の名優であったことは否定のしようがない。今の若い演劇ファンには馴染みのない役者かも知れないが、映画、テレビ、舞台、ラジオの他に、詩人、歌手など、多角的な煌めきを放った昭和を代表する役者である。

 マスコミ的な言い方をすれば、「一つの時代の終焉」、あるいは「巨星堕つ」という見出しになるのだろうが、極端な言い方をすれば、そのエネルギッシュな仕事ぶりは、まさに「怪物」と言ってもよいほどであった。
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