2月16日の朝、満88歳の誕生日を目前に、すい臓がんで稀代の名女優が逝った。初舞台から71年、宝塚の人気娘役を経て退団後は松竹の専属となり、「夫婦善哉」は言うに及ばず、日本映画の黄金期を築いた女優の一人である。
一方、舞台での活躍も幅広く、長谷川一夫の相手役として、あるいは山田五十鈴とのコンビで幾多の作品を遺しているが、私がすぐに思い出すのは、谷崎潤一郎の「細雪」の長女・鶴子と、「毒薬と老嬢」のアビィである。前者は古き良き時代の大阪・船場の旧家の長女のプライドと、それゆえの古風な女性の姿を見せ、後者では海外の喜劇をいとも軽やかに演じ、客席を大いに湧かせた。また、ここ数年の舞台では「あかね空」の料亭の女将の役が印象に残っている。
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立て続けに名優の訃報を聞くのは辛いものだ。先週、淡島千景の訃に接したばかりなのに、歌舞伎の女形の中村雀右衛門が91歳で長逝した。ここ二年ばかりは高齢のゆえか体調を崩して舞台を休んではいたが、いつまでも若々しいイメージを持っていた役者であったことや、舞台へ出なくとも存在してくれている、という安心感があった。昭和の歌舞伎を背負って来た大きな役者がまた一人、逝ってしまった。
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今年は先の震災の影響を鑑みて、従来4月29日に発令されていた「春の褒章」の受章者が先日発表され、その中に「野田地図」を主宰する野田秀樹の名があった。念のために若干の説明を加えておくと、「褒章」にも紫綬、黄綬、藍綬などいくつかの種類がある。社会貢献や人命救助などに贈られるものもあり、「紫綬褒章」は芸術・科学などの文化の発展を中心とした業務に従事する人々の中から選定されるもので、数年前までは60歳以上という規定があったはずが、その枠もはずされ、若いスポーツ選手が受賞したことなども記憶に新しい。
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実は、私は書評を書くのが好きではない。20年近く前に、ある本の書評に一夏を潰した苦い経験があるからだ。もう一つは、私自身が物を書く人間であり、同じ立場に立って他の作家が書いたものを批評するのにいささかのためらいがあるからだ。
しかし、その二つの逡巡を振り切ってなお、「今、書いておくべき」本について書くことにする。「落語評論はなぜ役に立たないのか」。本書を読んで、私は喉元へ匕首を突き付けられたような想いがした。すべてが当てはまるわけではないが、「落語」の文字を「演劇」に置き換えることがいともたやすく、不自然ではないからだ。本書は「落語とは何か」「落語評論家とは何者か」に、特別付録として著者による2010年の落語家のランキングが併載されている。
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「コント55号」で一世を風靡した坂上二郎が、76歳で逝った。かねてより病気療養中で、今年の明治座公演も降板という状態だったので、「とうとうか…」との想いがあるのは事実だ。誰の人生でもそうだが、長く生きていれば、見送る人の数も多くなるのは当然だ。私自身、30数年芝居を観ていて、今までに何人の演劇人を見送ったことだろう。観客として、だけの場合もあり、個人的なお付き合いのある場合もあった。
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2009年11月10日、森繁久彌が96歳で長逝した。ここ数年間は、年齢や体調の問題もあり表立った芸能活動を控えていたが、昭和の一つの時代を築いた稀代の名優であったことは否定のしようがない。今の若い演劇ファンには馴染みのない役者かも知れないが、映画、テレビ、舞台、ラジオの他に、詩人、歌手など、多角的な煌めきを放った昭和を代表する役者である。
マスコミ的な言い方をすれば、「一つの時代の終焉」、あるいは「巨星堕つ」という見出しになるのだろうが、極端な言い方をすれば、そのエネルギッシュな仕事ぶりは、まさに「怪物」と言ってもよいほどであった。
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先ごろ、秋の叙勲の発表があり、芸能の世界の人びとでは、文化勲章の桂米朝、坂田藤十郎をはじめ何人かがその栄誉に輝いた。勲章や褒章とは制度を異にする中に、「芸術院会員」というものがある。上野公園の中にある「日本藝術院」の会員で、会員の互選により会員の補充が行われるシステムだが、芸能の道を歩く人びとにとっては栄誉なことだ。
もう二十年以上も前のことだ。劇団「前進座」の五世河原崎国太郎と話をしていたら、ふと国太郎が真面目な顔で「芸術院会員になれないものかねぇ」と呟いた。私は一瞬、耳を疑った。左翼思想を持ち、かつては共産党へ集団入党した歴史を持つ前進座の役者は、当時は国が与える栄誉とは最も遠い位置にいたし、国太郎自身が、そうしたことを嫌う役者だったからだ。
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歌舞伎に対抗する演劇としてのジャンル・新派ができて121年。立派な古典芸能である。いつ頃からだろうか、同じ古典芸能である歌舞伎の驚異的なブームとは裏腹に、長期低落傾向が続き、観客の離脱に歯止めが利かなくなった。時期を特定するのは難しいが、私の記憶にある限りでは昭和54年に初代の水谷八重子が亡くなったのが大きなダメージだった。それから数えてももう30年の間、新派は「自分たちのするべき芝居」の模索に悩み続けていた。人気漫画「はいからさんが通る」を舞台化して若い観客の動員を図ってみたり、歌舞伎の人気役者や杉村春子、山田五十鈴といった大女優のゲストを仰ぎ、新派の名狂言に何度目かの命を吹き込もうと苦心惨憺して来たが、なかなか思うようには行かなかった。
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世を挙げての落語ブームである。古典芸能がこうして何十年かに一度のブームで今まで命脈を保ってきた、その底力は凄いものだ。こうしてブームが起きると、「迷人」が続出し、「毒演会」が盛んになる。しかし、玉石混交でなければブームなど起きないのだから、そこに目くじらを立てるつもりはない。自分の好みに合うのは誰か、は、観客が自分の眼と耳で判断すれば良いだけの話だ。
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